個人が主張することのハードルの高さ

 

milieu.ink

 

http://milieu.ink/interview/yukaohishi

 

を、読みました。あと、はてブのコメントをざっと読みました。

 

当然前者だな。はてブを見てるとよくわかる。 - rurisizimiのコメント / はてなブックマーク

 

以下、所感。

 

日本だと、ある程度有名になって、ネームバリューで飯が食えるぐらいにまで突き抜けないと、主張をするリスクとメリットで、リスクの方が高くなりがちな状況、ということは言えるのかも・・と感じました。

 

これは、日本人の国民性なのかな?とかいう気もする(けど、こういうのって、理屈をこねくりまわせば何とでも言えるので、よくわからないけど)。

 

ポッドキャストを、うまく活用することで、このあたりをうまく回避しつつやっていけると良いですね(塩谷舞さんは、ポッドキャストやってないのかな?)

 

塩谷舞の文章のスタイルは、この記事を読んだ印象としては、正直苦手な感じだったけど、ポッドキャストを聞くなどして、人となりを知れば、また印象変わってくるかな?

  

男性 vs 女性の構図って、とてもデリケートな問題になりがちがと感じます。まずは男性と女性が半分半分の状況を作ってからでないと、建設的な議論は難しい気がします。

 

個人が主張することのハードルの高さを低くするためにはどうすれば良いのか?ということについて、ちょっと考えてみました。

 

僕は最近は「より小さなコミュニティ」にその可能性を感じています。そこから始めることで、リスクは少なくできるので。とはいえ、広がりも少なくなってしまうわけなので、もし、もっと広げようということになれば、ちょっとずつ「より大きなコミュニティ」にアプローチしていく、という手もあるかもですが、個人的には、あまりそういう風には考えないかな。小さなコミュニティが自分の居心地の良い場所で、ずっと居続けられるなら、それで良い気がするし、そのコミュニティが良いコミュニティであれば、特にネット時代においては、どんどん人がやってくると思うので。それにより、元「より小さなコミュニティ」が「小さなコミュニティ」でなくなったとすれば、必要に応じてバトンを渡しつつ、自分はまた別の「より小さなコミュニティ」に行けば良い、という風に考えています。ただ、現代においては、それを許さない「巨大ななにか」が生まれることがある気がするので、そういうのには、がんばって戦って「巨大ななにか」に膝を屈しなくても生きていけるようにしないと本当にヤバくなってくる気がときどきします。これを回避するためには、小さなコミュニティがたくさんあって、それらが緩くつながってて、どこかの巨大なひとつの何かが全部を牛耳っていなくて、どれかのコミュニティが仮に消滅したとしても、全体に深刻な、致命的な影響にまではならない状況、を目指すのが良いのかな、と思っています。

 

大分脱線してしまいました。改めてまとめると、「小さなコミュニティであれば個人が主張することのハードルは下げられる」ということになるかな。